ストーリー


プロローグ
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窓の外には抜けるような青空が広がっている。吹きこむ風はカーテンを揺らし、さわさわと頬を撫でてゆく。
ここは町の外れにある錬金術工房。錬金術とは、そこらへんに転がっている石ころから金や銀などの貴金属を創り出すのを目的とした実に都合のいい学問のことだ。
もちろん、そんなことが本当にできれば苦労はないわけで、実際には鉄鉱石から鉄を製錬するなど、工場でやった方が早いようなことを個人レベルでちまちまとやっている程度に過ぎない。
俺はそんな錬金術師の助手として働いている。早い話が、まだ未熟者な訳だ。
そんなわけだから、たいした仕事はない。関連する書物を読んで勉強したり、実験の手伝いをしたり、時々出される課題をこなしたり。
仕事がら様々な分野を学んでいる錬金術師は医学にも精通しているため、俺のお師匠様も副業として医者を営んでいる。訪ねてきた病人を案内するのも、俺の大切な仕事だ。
しかし今日は誰も来ない。
「暇だなあ‥」
大きく伸びをしてあくびをひとつ。
昨夜、読書に夢中になってつい夜更かししてしまったため、目蓋が重くて仕方ないのだ。結局途中で寝入ってしまったので、手元にはまだ読みかけの本が残っている。何処かで見たような二番煎じの内容は、はっきり言ってつまらない。ため息をついてページを閉じた。
と、タイミング良く俺を呼ぶ声がする。
いったぁ~い 「テオ君、ちょっとこっち来て~‥‥っ、きゃああああ!」
直後、何かが割れる音と共に絹を裂く悲鳴が響き渡った。
普通なら何事かと慌てふためくところだが、この程度の事件は日常茶飯事。驚きはせず、急ぎ足で研究室へ向かう。
ドアを開けば中は予想通り。辺り一面に散乱するフラスコやビーカーの破片の中、尻餅をついた女性の姿があった。
彼女の名は錬金術師シーラ。この工房の主、つまり俺のお師匠様に当たる人だ。両親のいない俺を引き取ってくれた育ての親でもある。
見かけは絶世の美女なのに昔からおっちょこちょいで、毎日失敗ばかりしている。なぜこんな人が超一流の錬金術と言われるのか、まったくもって不可解としか言いようがない。
「何してるんですか‥」
「いったぁーい。あは、転んじゃった」
ぺろりと舌を出し、彼女は立ち上がって服についたガラスの欠片をぽむぽむ叩き落とす。呆れながら、一日一回は必ずその職務を果たす掃除道具を取り出した。
「毎日毎日、よくこんなに物を壊せますね」
「そうよねえ。我ながらすごい! 感心しちゃうわ~」
嫌味をあっさりと受け流すお師匠様。本気でそう思っているのだから、ある意味確かにすごい人だ。
「片付けますから、ちょっと外に出てて下さい」
「手伝おうか?」
「いりません。余計散らかるし、下手に触ったらまたケガしますよ」
「う~」
「お師匠様?」
「指切っちゃった」
忠告は既に遅かったようで、振り返ればお師匠様は瞳を潤ませ指を押さえている。さらに大きな息を吐き、救急箱を取るべく棚へ向かった。
以前にも一度、ガラスを素手で集めようとしてケガをしたことがあるのに、懲りないというか何というか。しょうのない人だ。
外見は立派な大人なのに、行動はてんでお子様なのだから不思議である。そういえば何歳なのだろう。はっきりとは覚えていないが、彼女に引き取られ、この町に越してきたのはもう随分前だ。
十年くらいは経つだろうか。お師匠様の様子は、昔も今もあまり変わっていないような気がするのだが。
「つまり、進歩してないってことだよなぁ…」
「ん?」
「‥えーと、救急箱はどこかなっと」
危ない、危ない。
手当てしてやり、どうにか部屋も片付け終わってホッと一息。ふと思い出して向き直る。
「何か用があったんじゃないですか」
「‥ほえ?」
ドタバタしていて忘れていたが、悲鳴の前に呼ばれていたはず。小首を傾げたお師匠様は暫し宙を見つめ、掌を打った。
「ああ! そうそう、テオ君に課題出さなきゃいけなかったんだわ~」
言ってくるりと背を向け、掃除のため脇に避けていた道具や書類の山をがさがさ漁りだす。
「ちょっと待ってね。んーと、んー‥‥これかな?」
差し出される数枚の紙切れ。転んだ時に倒れた薬品がかかってしまったのか、文字が少し滲んでいる。
「ええと。ホム‥、ホムンクルスの育成実験に関する資料? これ、何ですか」
「だから課題だってば」
いやあの、そこでえへんと胸を張られても。
困惑した俺は仕方なく先を読むことにした。
ホムンクルス。
錬金術に関わりのある者なら、誰しも名前くらいは知っているだろう。ホムンクルスとは人間の体組織を素体として創り出される人工生命体。外見は人と同じで、言語を理解し、花や木を愛でる感情さえ持つという。
もちろん簡単に創れるものではない。相当な知力を持った錬金術師でなければ、生み出すのは不可能だ。‥‥と言うより、そもそも成功例なんか聞いたことがない。
だが、一見した限り、その資料にはホムンクルスの生成方法が書いてあるようなのだ。
「ええと、つまり俺にホムンクルスを作れと?」
「ぴんぽーん。正解、大当たり~」
「‥って、できるわけないでしょうが!」
「だいじょーぶ。簡単だってば」
と、吠える俺にまるで作ったことがあるかのように、脳天気かつ無責任なことを言う。
確かにお師匠様の実力ならば、本当にホムンクルスを作ることも可能かもしれない。しかし、まだまだ未熟な俺には、とうてい無理のような気がする。
「だってね、テオ君ってばすっかり賢くなっちゃって、教えられること無くなっちゃったんだもん。もう一人前よね」
俺の気持ちを見抜いたかのようにお師匠様は告げた。
「だからね、これは最終試験! ホムンクルスを創って、ちゃんと育てられたら卒業でーす」
「卒業‥‥?」
「立派な錬金術師になれたってこと。私も鼻が高いわ~♪」
ということは、この課題が終わったら独り立ちしなくちゃいけないのか? お師匠様と離れることを考えると少し、いやかなり寂しくなった。
「もちろん、ただ創るだけじゃだめよ。立派に育てなきゃね。何たって、あなたの子供なんだから」
俺の心を知ってか知らずか彼女は続ける。
「俺の子って‥、誤解されるような言い方しないで下さいよ」
「あれー、ちゃんと資料に書いてあるでしょ」
悪戯っ子の笑顔でお師匠様はにっこり。
「ホムンクルスの材料のとこ見てみて。何て書いてある?」
「え? ええと‥‥」
資料の材料欄には、幾つかの道具と、そして最後にとんでもない物がひとつ。
ご丁寧に赤線まで引いてある単語が目に飛び込んできて、俺は息を詰まらせた。
俺のお師匠様 「せ、精液‥?」
「あははは、ぴんぽんぴんぽーん!」
大笑いしているお師匠様の辞書には、もしかすると恥じらいという単語は載っていないのかもしれない。
「こ、こんなもの何にするんですかっ!?」
「んっとねー、精液はぁ‥‥」
「あああッ! 大きな声で言わないでっっ」
両手で口を塞ぐと、もがもがと尚も彼女は呟いている。可哀想だが静かになるまで離せなかった。
ぷはっと自由になったお師匠様は、こちらの様子などおかまいなしだ。
「それでねえ、やっぱり女の子がいいと思うのよねー。可愛いしぃ」
素敵に強引。どんどん話を進めてゆく彼女を止める術は残念ながら、俺にはない。
「はあ‥、分かりました。やりますよ」
「え、ナニを?」
「ホムンクルスです! うまくいくかどうか分からないけど、創りますよ」
「わぁい。テオ君ならそう言ってくれると思ってたわ~」
諦めた俺に、嬉しそうにお師匠様は抱きつく。
材料を手渡され、簡単な諸注意を受けた後。出て行こうとして呼び止められた。
「で、どうするの?」
立ち止まってはみたものの、問われた意味が分からない。
「どうって‥‥」
「だからー、自分でする? それとも私が手伝ってあげようか」
「‥‥‥」
嫌な予感がする。
「精液がいるでしょ。一人で出来ないなら‥‥」
「だーッ! いいっ、遠慮しますッッ」
叫ぶやいなや、俺は部屋を飛び出し脱兎のごとく駆け出した。
「あ、ちょっと待って」
「何ですかっ!?」
思わず、たたらを踏みながら叫んでしまう。
「はい、これ。プレゼント」
何だかよくわからないが、ともかくこの場から逃げ出したくて、だだだだっと戻ってお師匠様が差し出した封筒をひったくる。たぶん追加の資料か何かだろう。
「それじゃ、俺今日はもう帰りますから!」
言い捨てて返事も待たず走り去る。
ドアから半身だけ覗かせたお師匠様の、ありがたい一言が追いかけてきた。
「テオくーん、やりすぎは体に毒だからね~!」
転倒してしまった。


自宅に戻った俺は、とりあえずホムンクルスの材料を集めることにした。といっても、大体のものはお師匠様が用意してくれている。
必要なのはあとひとつ、つまりその……俺の精液だけだ。資料によれば、一回分(?)あれば足りるらしい。
容器を用意し、ベッドに腰かける。工房から去る直前にお師匠様が渡してくれた封筒を取り出した。
受け取った時は急いでいたので気づかなかったが、封筒の裏には、材料集めの前に必ず読むようにとの注意書きがしてある。材料とはつまり精液のことだろう。
「何だろう‥?」
封を切って逆さまにすると、中からヒラヒラと数枚の紙が落ちてきた。
絵か? ‥‥と思ったが、どうやら写真というもののようだ。
あっは~ん♪ 前に一度お師匠様に見せてもらったことがある。特殊な薬を塗った紙を小さな穴の空いた箱の中に入れて、残したい風景がある方向にしばらく向けていれば、その時の光景が紙の上に写るという優れものだ。
「ぶッ!?」
手にとって見た瞬間、俺の思考回路は停止した。
写真に映っているのはお師匠様だ。Vサインをしていたり、投げキッスをしていたり。いや、ポーズを取っているのは別に構わない。問題なのは彼女の格好だった。
下着姿や、バスタオルを巻いているだけのものや。もっときわどいのになると、バスルームで泡まみれなんて写真まである。
「なななな何考えてるんだッ!? あの人っ!?」
慌てふためいてひっくり返す。写真の裏には何か文字が書かれていた。お師匠様の筆跡だ。
「ええと‥‥の、悩殺せくしー下着??」
調べると、すべての写真に書きこみがされている。『天使の投げきっちゅ』、『魅惑のばするーむ』、『悩殺。美貌の果実!』‥‥などなど。写真のタイトルらしい。
封筒には、『オカズに使ってね♪』と書かれたメモがキスマーク付きで入っていた。
「お、お師匠様‥‥」
何だか物悲しくなって、はらはらと涙が零れた。
その写真を使ったかどうかは―――内緒にしておこう。


ホムンクルスは、それ用に作られた培養液の中で育てられる。中に潜っても息が出来るという不思議な液体だ。
製法は複雑だが、長くお師匠様の教えを受けてきた俺に作れない代物ではない。これを生存維持装置で埋め尽くされたタンクの中に満たす。
つまり、このタンクは母親の胎内‥‥子宮にあたるわけだ。ここに、別途作成したホムンクルスの核を沈めれば、それを中心に徐々に人型が形成され、やがてホムンクルスの誕生となる。
成長すればタンクの外にも出られるようになるが、外界の空気や直射日光に耐えられるようになるにはもう少し時間がかかるらしい。
うっすらと光を放っている培養液にの中に、採取した精液や血液から作り上げたホムンクルスの素を注入して作業完了。
ホムンクルスが成長するスピードは人間の数十倍なので、一週間ほどで人型に成長するそうだ。
「うまくいけばいいけど‥‥」
うーん、かなり不安だ。お師匠様にもらった資料を広げ、注意事項を読んでみる。
まず、生まれたばかりのホムンクルスは脆弱なので、こまめに休憩させなければならない。体力が減りすぎると病気になってしまうらしい。
また、赤ちゃんと同じなので眠っている時間が多いという。買い物などは睡眠中に済ませてしまおう。
「楽しみだな」
不安と期待を胸に、俺は培養タンクを見つめた。


材料を培養タンクで混ぜてから一週間が過ぎた。最初の日こそ不安だったものの、翌日から起こり続けた劇的な変化に、俺は連日驚きっぱなしだった。そして、一週間目の今日。
夢見る幼子 「すごい‥」
培養タンクの中には可愛らしい少女が丸まっている。淡いパステルトーンの髪。ガラス越しにも分かる、透き通るミルク色の肌。
お師匠様の資料を元に創り上げたホムンクルス。しかも、俺の娘だ。
「まさか本当に完成するなんて‥‥」
震える足で歩み寄り、俺は彼女の名前を呼ぶ。
この一週間、夜も寝ずに考え続けた名前。何度も何度も頭の中で繰り返し、声にして出すことを今か今かと待ち望んでいた、その名前を。
「メイヴ‥‥」
しばらく待ったが、幼子は目を覚ます様子がない。まだ早過ぎたのだろうか。
もう少し様子を見ようときびすを返そうとした瞬間。
「‥‥ん‥むにゃ‥」
その小さな声に驚いて振り返ると、幼子は今まさに目蓋を開こうとしたところだった。
隠されていた瞳は、翡翠よりも鮮やかなみどり色。
「だれ‥?」
ホムンクルスは、素体提供者の遺伝情報や基礎知識を身につけているという。彼女は、俺を父親と認識して花のように微笑む。
「おはよう。気分はどう?」
「ん‥‥ねむ‥‥」
せっかく目覚めたのに、またうとうとし始めてしまう。
「寝ちゃったか。まあ仕方ないよな、生まれたばっかりだし」
コツン、とタンクのガラスに額を押し当てる。あどけない寝顔につい頬が綻んだ。
子は親に似ると言われるが、ホムンクルスは無垢で真っ白な心を持って生まれてくる。この子がどんな風に成長するかは、親である俺しだいだ。
「これからよろしくな、メイヴ‥‥」
そっと囁く。
良い夢を見ているのか、メイヴは穏やかな表情で眠っていた。